連載「“教室マルトリートメント”って?
東京都立矢口特別支援学校 川上康則」

【第3回】
一人より二人。
学校が連携して動くには

皆さんは「教室マルトリートメント(以下、教室マルトリ)」という言葉をご存じでしょうか。実はマルトリートメント(以下、マルトリ)は家庭内などだけでなく、学校という教育現場でも起きているんです。そこで今回、養護学校や特別支援学校で教員として勤める川上康則先生に、「教室マルトリとは何か」「背景で何が起こっているのか」についてお話を伺いました。マルトリや虐待に興味がある方に必見の情報です!!

川上康則先生
川上康則(かわかみやすのり)
2001年より養護学校、特別支援学校で教員を勤め、今年で21年目。東京都立矢口特別支援学校主任教諭。中学部2年の学年主任。特別支援教育コーディネーターとして小・中・高の巡回相談を10年間続け、通常学級の学級経営や授業づくり、子ども理解のサポートも行ってきた。公認心理師、臨床発達心理士。

教師の仕事は、本来業務とかけ離れたことが多い
―“子どもとの関わり”ファーストの学校に

 グレーバー氏が提唱した「ブルシット・ジョブ」の5類型をご存じの方はいらっしゃいますでしょうか(図1)。①取り巻き②脅し③尻ぬぐい④見せかけ⑤監視(表現は、学校現場の実態に合わせて川上氏が一部修正)―の、本来ならやらなくてもいい、どうでもいい仕事をまとめたものです。実は教師の仕事も本来業務である「子どもたちと関わる」こと以外で、このブルシット・ジョブズが多く存在します。

 ①取り巻きは、誰かを偉そうに見せる仕事のことを指します。例えば教育行政の立場から現場の状況等を把握するためのアンケート回答が事あるごとに求められます。また、各学校が保護者や教職員に「学校評価アンケート」の提出を求めることもあります。通常、アンケートの提出は任意であり、その回収率は30%前後です。しかし、学校現場では、常に100%に近付けることを求められます。この時点で上からの圧がかかっていると言っても過言ではありません。「上が言えば下は動く」的なシステムがはっきりと存在しています。

 仮に100%の提出が実現したとして、それによって何かが改善されているという実感があれば協力していこうという機運も生まれるものですが、子どもたちにとって還元されるものは皆無に等しい状況です。学校現場に直接的に関係していない立場の人たち自身の見栄・沽券・保身・不健全なニーズ、その他の何かを満たすために行われるような調査や、任意としながらほぼ義務づけられたようなアンケートの実施は今すぐにでも見直すべきだと思います。

 ②脅しも同じことが言えます。学校はPDCAのP(計画)にとらわれやすい組織です。指導の計画、学級経営の計画、行事の計画、管理職との面接のための計画などさまざまです。これらの計画の多くには所定の様式があります。様式の枠に空白があると、その空白を埋めるようにという上からの指示が出されることがあります。分かりやすくシンプルにという意図よりも、枠を埋め切ることのほうが優先度が高いとされてしまう―これを「形式主義」と言います。ささいなことかもしれませんが、こうしたことを一つずつ見直していかなければ、本来業務である「子どもとの関わりの時間を大切にする」ところにはいつまでたってもたどり着くことはできません。

 毎年恒例の学校行事についても今の子どもたちの実態に合わないものが多々あります。運動が苦手な子にとっての運動会、声を出すことが難しい子にとっての合唱コンクール、みんなと一緒に行動することが難しい子にとっての宿泊行事―今までの学校は、どんな実態があろうともこれら全てを経験させる「全員参加」が基本でした。しかし今の子どもたちの実態は、その感覚とはだいぶズレてきています。結果的に、小・中学校の通常の学級には「全てをこなせる子」だけしかいられなくなってきているように感じます。そのことに教師側も気付けず、学校や教室に詳しく細かなルールがどんどん増えているため、その枠からはみ出ざるを得ない子も増えています。

 2020年~2021年にかけて、新型コロナウイルス感染症の影響で学校行事の多くが延期や中止を余儀なくされました。その時、学校行事ほど先生や子どもたちを苦しめているものはなかったのだと痛感しました。特に運動会や学芸会、文化祭、「開校●周年」という周年行事などは、教師側も見栄えを気にするので、事前指導で強い怒声が飛び交うような場面が多く見られてきました。しかしこの2年間はこういった行事がほとんどなく、子どもたちは非常に落ち着いている印象を受けました。

 とかく職員室では学校行事を“精選する”という声が上がりますが、「選ぶ」のは非常に難しいため、どうしても現状維持が続きます。目指すべきは“削減する”です。「●個なくす」「●個取りやめる」と具体的な数値目標を掲げたほうがいいと思います。コロナ禍以前の元の状況に戻そうという機運が高まりつつある今、本当に「●個なくす」「●個取りやめる」を実現しないと、子どもたちの心はますますストレスフルになり、そこからいじめが起きやすくなり、教師に対する不信感から学級経営が困難になり―といった負の連鎖が起きることは想像に難くありません。



教師間の連携・協力のために気を付けることは?
―「雑・相(ざつ・そう)」で雰囲気づくり

 学校現場で最も大切なのは、子どもに関するポジティブな話題が日常の会話・対話の中で飛び交うことです。学校は子どもが集まる場ですから、予想外・想定外がつきものです。普段から「想定外を楽しもう」という雰囲気に満ちあふれていれば、たとえ何らかのアクシデントが起こったときにも「今の雰囲気で、指導はどうだったかな」「Aくんの表情は微妙だったから、もう少し●●したほうがよかったかもしれない」と落ち着いた、前向きな会話が交わされるはずです。

 こそこそ話や、ある程度の年齢の人たちが群れるような姿を示すのもやめたほうがよいでしょう。もちろん、特定の人とだけ共有したい話題もあるとは思いますが、基本はオープンで前向きな会話・対話です。不思議なもので、教師の雰囲気がよい学年は、子どもたちも穏やかで自信に満ちているような雰囲気になっていきます。

 教師だけでなく、支援員や介助員・学生ボランティアを含めた大人の会話の中で「ありがとう」という感謝の言葉や「お疲れさま」「大丈夫」「お互いさま」という互いを気遣う言葉が日常的に交わされることもとても大切です。

 非常に残念なことですが、実際の学校現場には「ありがとう」というねぎらいや感謝の一言すら言えない管理職が一定数います。また、廊下ですれ違う時に「お疲れ様です」と伝えても無言のままノーリアクションの教師が一定数います。これで人がついてくると思えているのが不思議なくらいです。学校現場では、もっと大人同士がお互いに感謝、リスペクトし合うようにすることが大切なのではないでしょうか。お互いを大切にする雰囲気がつくられていれば、今のコロナ禍のような大変な状況にあっても補い合う気持ちになれます。今の学校現場には、時間的な制約を抱えつつ働いている教師や、介護や育児などでエネルギーを家庭に向けながら働く教師、自分自身の病気と向き合いながら働く教師がいます。そんな状況であっても決して負い目を感じることなく、できる限りのことを、それぞれの持ち味を生かしながら働くことができる場であってほしいと思います。だからこそ日常の「大丈夫」「お互い様」「ありがとう」が欠かせません。教師の仕事は、将来を担う子どもたちの未来を描く仕事です。夢や希望を持って働ける、こういった仕事はなかなかありません。お互いを思いやって、いい雰囲気の職場づくりをしていくことは、もっと明るい未来を築くことにつながっていくと言えるのではないでしょうか。

 今回の冒頭でお伝えした通り、今の学校現場の仕事はブルシット・ジョブズが折り重なって、もういっぱいいっぱいの状態だと思います。しかも、その傾向は年々強くなりつつあります。私が初任者であった21年前の職員室を振り返ってみると、まだまだ気持ちにゆとりがあり、放課後の職員室ではその日の子どもたちの様子を振り返る会話があふれていました。先輩たちの会話を聞きながら、自分の教育観を磨いてきた部分もあります。

 なぜそこまで会話ができたのだろう・・・。改めて考えてみれば、それに見合った業務量だったからなのではないかと思わずにはいられません。今、放課後の職員室では子どもの様子を語る声はあまり聞かれなくなりました。みんな無言でパソコンに向かっています。ICT環境が整うごとに、それに見合う仕事量が降ってくるからです。もちろん、今更「昔はよかった、端末は要らない」という議論をするつもりはありませんが、自分の視点や見方、子どもをどう理解すればよいかなどを話し合ったり、お互いの考え方の共通点や相違点を知り合ったりする機会が圧倒的に減ったように思います。会話の時間が多かったからこそ、方向性が異なる相手とはどうやったらうまくいくだろうと考えるきっかけにすることができました。

 こうした状況を見直していくためにも、雑談が大切だと思います。世間一般に仕事は「報・連・相(ほう・れん・そう)」が大事だとよく言います。学校現場も、それを求める風潮がどんどん強くなっています。しかし、報告というのは、得てして何か事が起きたことが起点になりがちです。日常の考え方を磨くには適していません。ビジョンや決断力を磨くためには、雑談のほうが向いています。雑談には良い・悪いも成功・失敗もなく、頭の中を整理していくことができるからです。短時間で実りのある話にしていきたいのであれば、「雑・相(ざつ・そう)」を心がけましょう。

 「あの場面の声掛けよかったよ」「前よりゆとりを持ってできるようになったね」こうした声掛けができるようになれば、職員室の雰囲気は大きく変わります。職員室の雰囲気は学校全体に伝わるのです。教師同士の学びのために、目の前の子どものことを共有できる対話の時間を確保すること。それこそが今、最も目指すべき学校の在り方だと思っています。

家庭でマルトリを受けている子。
学校でどう対応していけばいいのでしょうか?

 子どもが家庭でのマルトリで、良好な親子関係を築くことが難しい場合、外の世界とつながろうとします。その中には、学校で愛着形成を求める行動を出したり、大人を振り回すような行動を出したりすることがあります。子どもの行動上の問題の多くは、不安や緊張、警戒や抵抗などが背景にあり、心のSOSであると言えます。もっと自分が必要とされたい、認められたいという思いがあっても、外に発信する手段が分からなかったり、一般常識的な行動と大きくかけ離れた表現方法で伝えようとしたりします。そうした事情を理解しなければ、単なる道徳的な指導(「やってはいけない」と強く言い聞かせ、反省を促す)を繰り返してしまうだけで、かえって信頼関係(ラポール)を損なう結果になるだけです。特に、「この子はここでは難しいです」と簡単に切り捨てるような対応をとることだけは厳に慎まなければなりません。

 そこで大切にしたいのが、学校が「安全基地」としての役割を果たすということです。安全基地は米国の心理学者メアリー・エインスワースが提唱した概念です。子どもが自発的に探索行動に出る場合はその姿を温かく後押しし、何かあった時には戻ってきて、一緒になって喜んだり、慰めたりすることのできる安心の場のことを言います。学校や教室は、“信頼に足る大人がいつもそこにいてくれる”という安心感で成り立っています。

 家庭でのマルトリへの対応として、子ども家庭支援センターや児童相談所への通報、学校や教育委員会にいるスクールソーシャルワーカー(SSW)との連携、警察や少年センターなどとの協力など、第三者の介入を依頼する場面は少なからず訪れます。いずれの対応をとる場合であっても、その大前提として、学校は「安全基地」としての役割を果たすことが大切です。

 家庭でのマルトリは、通報で全てが解決するわけではありません。一時的に保護された場合でも、そのほとんどが家庭に戻ります。通報は、その後の家族関係のリスタートのきっかけに過ぎません。学校では、その子の“その後”をどうするか?を議論しなければ何も始まらないのです。

 ただ、気持ちの切り替えがうまい先生でないと、SOSを求める行動をとる子どもと向き合い、辛抱強く付き合っていくことは到底できません。マルトリを受けてきた子どもが、自分のありのままを受けとめてもらえるようになり、この大人は信用できると気付くまでは長い時間がかかります。私自身の経験ですが、少なくとも2年、長い場合はそれ以上の年月がかかります。

 近年、学校のクラス替えのスパンが短くなり、今は多くの学校で1年ごとにクラス替えが行われています。その背景には、クラスの荒れが校内のいくつかの学級で起き、それを翌年度に修復するという流れがあります。それだけ力のある教師が全体的に不足しているということの裏返しなのかもしれません。ところがこのような1年単位の関わりでは、家庭でのマルトリの影響から情緒面、行動面で落ち着いていない子どもとの信頼関係の構築には時間が足りません。

 そのためにも、冒頭でお伝えしたブルシット・ジョブズを可能な限り排除し、時間をつくり、子どもと向き合う実践力を高めることに注力しなければならないと思います。今、やるべきことの優先順位が真逆になっている状態を、いち早く変えていかなければならないと強く感じています。

 先生と子どもが信頼関係を築くためには、まずお互いのことを考える時間をつくらなければなりません。そういった余裕を持てると、“今どうするか”だけではなく“その後をどう迎えるか”を考えられるようになります。教師たちがそういった時間をつくることができるよう、環境を整えていってほしいと思います。

(次回につづく)


【コラム】
職員会議があるだけマシ…ってどういうこと?

 最近では「職員会議」ではなく「職員連絡会」や「全校連絡会」という名称に変わった学校が増えています。その名の通り、校長が上意下達的に連絡をすることが目的の会です。もし一教諭が学校全体に意見を投げかけたいのであれば、いきなり連絡会で言うのではなく、主任に伝え、そこから主幹、副校長や教頭へ―というラインを経なければなりません。主幹会議で判断が下されたあと、連絡会で意見が共有される仕組みになっています。

 表向きは、働き方改革のための会議時間の短縮かもしれませんが、実体としては職員会議を弱体化させ、上の意見が通りやすくなるように流れがつくられています。管理職のなり手がなかなかいないことも、こうした「職員連絡会」への移行に拍車をかけているのかもしれません。

 職員会議が連絡会になって強く感じるのは、学校に対する建設的な意見が全く出て来なくなったということです。管理職層にとって不都合な意見は確かに減ったのかもしれませんが、学校にとってよいことも言えなくなったように思います。

 意見を言える場がなくなったということは、何も進展しないし、これ以上よくならないということと同じです。こうした現状を嘆くのではなく、せめて子どもたちとの関わりについてだけは、現場に携わる教師たちの責任で、お互いに感謝とリスペクトの気持ちをもった対話を継続していくことが大切だと思うのです。

 上からの一方的な指示が学校全体の硬直化をもたらすように、学級経営においても、威圧的・高圧的な指導はクラスの緊張感を高め、「忖度(そんたく)する子どもたち」を増やすことにつながります。こういった負の連鎖を断ち切るための「防波堤としての役割」が、私たち教師に一層求められてくると思います。



連載一覧はこちら

▶【第1回】知らないうちに!? 実は教室でマルトリートメント、起きています
 (JFPA情報3月号(第12号) 2-3面)


▶【第2回】これって教室マルトリ?教師も子どもも気持ちよく過ごせる教室へ

▶【第3回】一人より二人。学校が連携して動くには

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