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ピル承認秘話

ピル承認秘話
–わが国のピル承認がこれほど遅れた本当の理由(わけ)–
<第55話>読売新聞「対立討論」、その後に事件が

第823号
ピル承認秘話
一般社団法人日本家族計画協会 会長
北村 邦夫

 1997年6月24日(火)の読売新聞の朝刊では、「対立討論」の記事が大きく掲載された。テーマは「ピル解禁」。筆者の紹介文には、「日本家族計画協会クリニック所長。産婦人科医。本年5月より総理府男女共同参画審議会委員。46歳。」とある。一方、討論の相手は井上栄氏。公衆衛生審議会の伝染病部会でもしばしば登場する国立感染症研究所情報センター長。専門は感染症とアレルギー病の疫学。57歳。
 井上氏は、公衆衛生審議会委員の中でも、ピル承認に反対する強硬派だと筆者は受け止めている。彼の主張は、①エイズの予防にはコンドームしかない。②わが国でエイズが少ない最大の理由は、日本人のコンドーム使用率が高いことである。③しかし、コンドームはエイズ予防ではなく避妊の目的に使われてきたのである。その避妊法がエイズも抑えたことは、日本人にとって極めて幸運なことであった。④国民の多数に避妊とエイズ予防とを別のものとするとの意識がない状況でピルを解禁すれば、エイズが将来増加することは自明の理である。⑤将来もエイズを少なく維持するためには、「幸運」の理由を認識し、高いコンドーム使用率を維持させるあらゆる努力を払うベきである。⑥エイズは潜伏期の長い感染症であるから、ピル解禁でエイズが増加して「懸念される事態」を生じてからでは時は遅いのである。以上の理由でピル解禁を現時点で行うことは慎重に。と公衆衛生審議会の一委員としての意見を述べている。
 筆者はといえば、従来の発言を繰り返すわけだから、議論は対立する以外になかった。
 事件は、それからしばらくして起こった。この対立討論の記事中の筆者の顔に赤マジックでバッテンをした新聞のコピーが、随所に送られていたようだ。どこに送られたかは、その後、何かと声がかかったことでその事実が判明した。例えば、ピルの開発企業の社長、厚生省や公衆衛生審議会の委員など。封書の差出人は「薬害オンブズマン会員」とあるが真偽は明らかではない。しかも、わざわざ線で消しているのだから、なおさらである。投函した日付は97年7月5日となっていた。もちろん、筆者の所に届くはずもなかった。
 当時、公衆衛生審議会の会長であった高久史麿自治医科大学学長が、出身校の卒業生を気遣ってか、わざわざ電話をかけてきてくれた。「北村君、身辺、気を付けるように」。
 それにしても、筆者の顔写真にバッテンをする意味がどこにあるのだろうかと不愉快、さらには不可解な気持ちに襲われた。高々の避妊薬ピル。そうすることの思惑が理解できなかった。



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