ピル承認秘話―わが国のピル承認がこれほど遅れた本当の理由(わけ)―第89話 アレックス・サンガーからのファックス
Alexander C. Sanger(以下「アレックス」)をご存じだろうか。1947年11月15日生まれ。米国のリプロダクティブ・ライツを推進する活動家であり、国際家族計画連盟評議会の元議長であった。1916年にブルックリンのブラウンズビルにアメリカ初の避妊クリニックを開設したマーガレット・ヒギンズ・サンガーの孫にあたる。アレックスは以前、国連人口基金の親善大使、1991年から2000年まで、マーガレット・サンガーセンター・インターナショナルの会長を務めていた。また1994年9月24日から30日まで、第14回世界産科婦人科学会がカナダのモントリオールで開催されるのを機に、ピルに関連した先進的な役割を果たしている専門家に会うために筆者らがニューヨーク市を訪れた際、ニューヨーク市家族計画協会の会長だった方である。筆者とは、その後、何かと交流が続き、彼が新宿区市ヶ谷にあった私どもの日本家族計画協会クリニックを訪ねて来てくれたこともあった。
そんな彼に、1999年6月にはピルが遂に承認されるとの情報を流すと彼から次のようなファックスが返ってきた。(拙訳は筆者による)
「北村先生、 FAXありがとうございます。私はあなたが楽観的であることを嬉しく思っています。今回もまた政府がピルの承認を先延ばしすることがあったら、別の戦略を検討する必要があるでしょう。あなたのクリニックに低用量ピルを持ってくるよう私に申し付けてください。私たちは、税関に通報しどの飛行機に乗っているかを伝え、日本に到着後、未承認薬であるピルを持ち込もうと企んだ私を逮捕、ピルを押収してもらおうと考えています。その後、私とピルを戻して欲しいと日本政府を訴えることになります。こうすることで、(筆者注;日本人女性がピルを使えるようになるという)私たちの大義のために大きな宣伝効果があるでしょう。このアイデアに賛同いただけるならば、さらに突き詰めた話をしましょう。私はあなたを助けたいと願っています。1935年、加藤シヅエさん(筆者注:日本家族計画連盟初代会長。元国会議員)が、当時、産児制限を禁止する米国の法律に触れることを承知で避妊具・ペッサリーをニューヨークに住んでいた私の祖母マーガレット・サンガーに送る手配してくれたことを覚えていますか。今回、ピルを日本に持ち込むことで、日本に恩返しができたらいいと思います。よろしくお願いいたします。 アレックス・サンガー(1999年4月7日)」
アレックスは第42代米国大統領ビル・クリントンの親友だと聞いている。しかし、幸か不幸か彼との新たな戦略を実行に移す必要がなかったことはご存じの通りである。