機関紙

【第676号】 平成22年7月1日発行(2010年)

2010年07月 公開
7月号の目次
編集帳 

・第8回思春期保健相談士学術大会「思春期からの子宮頸がん予防」をテーマに開催

・グローバルな視点から考える日本の行方

・「自分で健康を管理する力」を育てる思春期歯科保健推進モデル事業
座談会 経口避妊薬(OC)誕生の歴史を探る
EBMで解き明かす「子宮頸がん予防とHPVワクチン」Q&A
プロとして独立できるお仕事?
避妊教育ネットワークリレートーク<4>東クリニック院長 東 哲徳(あずま てつのり)

 

 

 編集帖

 

 

 

 

▼現存するわが国最古の和歌集「万葉集」の代表的な歌に「銀も/金も玉も何せむに/まされる宝/子にしかめやも」(山上憶良)とあり、わが国では昔から子どもを大切にすることが生活の中で育まれていた。子どもは何物にも変えがたい宝であり、社会全体で子育てを支えあう慣習がうかがえる。
▼今、育児環境の整備が急がれている。国は子育てを社会全体で支える一助となるワーク・ライフ・バランスの実現を目指し、少子化の進行を防ごうとさまざまな対策を行っている。今年度の目玉事業といわれる「子ども手当」の支給が始まり、対象の家庭からはさぞ喜ばれているであろう。しかし、子育て世代が最も必要としているのは保育所や学童保育などの育児サービスの充実と、出産、育児などの子育て世代への経済的な支援制度の充実である。国は子育てをする人の立場に立って最も必要とされているサービスを制度化して、責任を持って実行してほしいものだ。そのためには各省・課にまたがっている子育て支援策を一元化して、効率化を図ることが急がれている。
▼年々子育て世代の女性の社会進出が増加しているが、出産後の女性が職場に復帰できる環境の整備が必要とされている。仕事と育児の両立が可能な労働環境は、企業の理解と協力なくしては実現出来ない。特に定時退社の実行や男性も堂々と育児休業が取れる就労体制など、安心して子育てが出来る社会の創出には企業の積極的な参加に期待するところが大きい。
▼大事なのは政策の実現には予算の確保が絶対条件となることである。財源が十分に確保されないままの見切り発車的な税金の使い方は、まさに子どもたちの世代に大きなツケを残すことになり、絶対に避けなければならない。 (SS)

 Q&A座談会 経口避妊薬(OC)誕生の歴史を探る

 

 

 

 

    〈出席者〉
   

レオン・スペロフ
Professor Emeritus of Obstetrics and Gynecology/Oregon Health & Science University

    セン・スペロフ
元助産師
    早乙女 智子
神奈川県立汐見台病院産婦人科産科副科長
    司会

 

 

 

北村 邦夫
本会家族計画研究センター・クリニック所長

 

 米国で経口避妊薬(OC)が承認されてから50年。わが国で承認・発売されてから10年が経過した。「OCの父」グレゴリー・ピンカスについての本を出版し、日本産科婦人科学会出席のため来日したレオン・スペロフ氏と、夫人で元助産師のセン・スペロフ氏、レオン・スペロフ氏の著書を翻訳した経験をもつ早乙女智子氏を招き、北村邦夫本会家族計画研究センター所長の司会のもと座談会が行われた。OC誕生の逸話が明かされた座談会の模様を、一部紹介する。
(4月25日、東京・丸の内の東京国際フォーラムにて収録、協力・バイエル薬品株式会社)

 

    ●ピンカスとマコーミック

 

 

【北村】レオン・スペロフ先生は、「OCの父」、グレゴリー・ピンカスについての『A Good Man: Gregory Goodwin Pincus』という本を米国で出版されました。OCはどういう背景の中で作られ、そしてピンカスはどのような苦労をされたのか。またスペロフ先生にとって、ピンカスはどういう人だったのでしょうか。
【レオン】ピンカスという人は、カリスマ性のある人でした。私は彼のことを直接知ることができなかったことを、大変残念に思っています。彼の同僚を通してわかったことは、ピンカスは単に人々に尊敬されていただけではなく、愛されてもいたということです。
 

ピンカスは米国で生まれましたが、ロシア移民の子どもで、英語を話せない状況で育ちました。私の両親も移民だったので、彼に大変共感しました。
 信じがたいことに、若いレジデントの学生に「グレゴリー・ピンカスを知っているか」と聞くとだれも知らなかったのです。ですから、彼の人生の素晴らしい物語を残したいと思いました。ここにはさまざまな成果があっただけではなく、さまざまなドラマや感動的な話がありました。
 彼は本当に素晴らしい人でした。彼が亡くなってから、「OCの父」と呼べる人はいったいだれなのかという話を私もいろいろな人としてきました。ベル・チン、M・C・チャンかもしれません。実際、M・C・チャンの墓石には「OCの父」と刻まれています。 しかし、ピンカスのことを知って、彼は自分のことを「OCの父」とは見なしていなかったことがわかりました。というのも、彼の理解では、進歩というのは一歩一歩発展していくものであり、先人が築き上げたものの上に私たちが築き上げていくということをよく理解していたからです。ですから、「OCの父」と呼ばれることは自尊心をくすぐるものだったかもしれませんが、彼自身はそのように呼ばれることを望みませんでした。そして、チームのほかのメンバーの重要性をよく理解していました。
 ピンカスがキャサリン・マコーミックの重要性を理解していたのにも、私はとても敬意を払っています。マコーミックは、OC開発のために単に資金を寄付しただけではなく、1953年からピンカスが亡くなるまでの間、彼女のアパートや学会の会合などで2週間に1回ぐらいは二人で顔を合わせていたそうです。
 もしピンカスがいなければ、いまOCは存在したでしょうか。彼がいなければ、OCができるのにもっと時間がかかっていたでしょう。マコーミック、そしてピンカスがいたからこそ、これほどまでに早く、私たちはOCを手に入れることができたと思っています。彼らは賞賛されるべきなのです。

 

 

 

上の写真は『A Good Man: Gregory Goodwin Pincus』表紙

  1961年、毎日新聞人口問題調査会と日本家族計画連盟共催の会合時のピンカス氏
  ●マーガレット・サンガー
 

【北村】日本ではグレゴリー・ピンカスやキャサリン・マコーミックよりも、マーガレット・サンガーのほうが有名なのです。サンガーはどんな役割を負っていたのでしょうか。
【レオン】サンガーは、OCのアイディアをピンカスの頭の中に埋め込んだ人と考えてよいと思います。
 彼は内分泌学者で、妻と一緒にニューヨークで夕食会を開きました。そこで初めて米国の生殖に関する話がなされたのです。その当時、米国には家族計画協会も、はっきりとしたものはありませんでした。この夕食会で、サンガーがピンカスに「3千ドルで何かを始めよう」と話したわけです。
 そしてピンカスはその日、ニューヨークから3時間ほどかけて自宅に帰る車の中で、資金は3千ドルでは十分ではないと考えていました。またサンガーも、その金額では不十分だとわかっていたのです。
 サンガーとマコーミックは長年の友人でした。マコーミックは裕福な女性で、ヨーロッパによく行っていました。ヨーロッパに行くときスーツケースを一つ持っていくのですが、帰りにはそれが3つになっており、そのスーツケースの中には、たくさんの避妊具が入っていました。ヨーロッパから米国に避妊具を持ち帰っていたのです。裕福なマコーミックが女性の避妊に興味を持つよう火を付けたのが、サンガーなのです。
 OCの開発資金が十分ではなかったので、サンガーはマコーミックに手紙を書きました。そして、ボストンに来てくれと言ったのです。その当時マコーミックは、カリフォルニアに住んでいました。そして、マコーミックと一緒にピンカスに会いに行ったわけです。
 その会合の中で、マコーミックは即座に2千ドルの小切手を書いたそうです。それでうまくいけば、また2千ドルを支払うということにして、実際その2週間後に、また2千ドルが支払われました。
 したがって、OC開発を始めたのはサンガーだということになるでしょう。その時点では、自分の好きなことをしていたわけですから、それほど貢献が大きいと見えなかったかもしれませんが、何らかの動きを起こしたのは、彼女だと言えると思います。

 

  ●プエルトリコの臨床試験
 

【セン】それからもう一つ、米国に大変重要な人たちがいたということもありますが、社会的な機運が高まっていたということも言えると思います。女性たちが自分たちの妊孕性を自分たちで管理したいという考えが生まれてきたわけです。
 ある会合で、レオンと私は女性からピンカスへ出されたたくさんの手紙があるのを見ました。OCの開発が開始された当時のものです。そこでピンカスは女性たちに懇願されていたわけです。「ぜひそのOCを私に送ってください。自分の人生をコントロールしたい。もう9人も子どもがいるのです。もう1人もほしくない」。
 ですから、文化的な背景としても、OCを受け入れるべく機が熟していたと思います。この時代米国の一部では、まだ避妊は違法だったのです。
【レオン】OCに関しては1960年の5月に承認されました。けれども、マサチューセッツ州、コネチカット州では、73年まで避妊が違法だったのです。そのためピンカスは、米国でOCの臨床試験ができず、プエルトリコで行いました。
【北村】米国などですと、ノルプラント(皮下埋没法)なども開発途上国で臨床試験をしたということがよく問題にされたりしますね。「なぜ自国の人たちで臨床試験を行わないのか」という批判は起こらなかったのでしょうか。
【レオン】開発途上国だから、臨床試験の場所に選んだというわけではありません。ピンカスと一緒に研究した人が、プエルトリコで生理学を修めていたのです。
 ピンカスが1954年にプエルトリコに行った時、すでに頭の中には臨床試験のアイディアがあり、いろいろな人に話しました。現地の家族計画協会の人たちとも話をしたそうです。米国に帰ってきてから、マサチューセッツ州ではまだ違法だが、プエルトリコであればおそらく臨床試験ができるだろうと考えたようです。
 大変重要なことに、このことで、ピンカスは1970年代にフェミニストから、「貧しい国の女性で実験をしている」と非難されました。
 プエルトリコの家族計画協会やサンワン市の市長らが、プエルトリコであれば臨床試験ができるとピンカスに言ったわけです。そこでピンカスはロックやマコーミックと話して、プエルトリコで臨床試験を行いました。ですから、貧しい人々を利用しようといった意図は全くなく、そうせざるを得なかったのです。

 

  ●ジョン・ロックの活躍
 

【北村】私はジョン・ロックの存在に非常に興味を持っていまして、ピンカスはいわゆる動物の卵の研究者ではありましたが、臨床との関わりを持つ立場にはなかった。ロックは非常に熱心なクリスチャンだったために、ピンカスのOC開発の協力依頼を断っていたとのことですが、これがどういう形で協力する方向に向かったのでしょうか。
【レオン】実際は、ロックがピンカスの研究依頼を断ったということはありませんでした。ピンカスとロックは長年の知り合いだったのです。
 ロックは手術をした女性から卵を採取して、それを体外受精するということを初めてやりました。それはハーバードの技術を使ったわけではなくて、ピンカスがウサギで使っていた技術を応用したのです。ロックとピンカスの研究所の技術者同士は常に話をしており、お互いに関係があったのです。
 1954年もしくは55年ぐらいですけれども、同じ会議にたまたま一緒に参加するということがありました。それは生理学と卵の成長に関する学会でした。その時にピンカスがロックに対して、ホルモンを投与して避妊する方法を考えてはどうかと話しました。するとロックは、「私はそれをもう患者に対してやっていますよ」と。
 というのは、不妊症の場合、子宮と卵管が十分発達していないこともあるので、ロックはエストロゲンを投与すると起きる「リバウンド現象」を使って解決するという治療をしていたのです。そこで、OC開発ではプロゲストーゲンを投与しようと考え、30人の患者に初めて臨床試験を行いました。ロックはリバウンド現象による妊孕性の達成を試みていたのです。
 一方ピンカスは、ホルモンの投与による避妊法を開発しようとしていました。サンガーとマコーミックはローマン・カトリックのため、最初はロックの研究を聞いて大変怒っていました。ですがピンカスとロックは、他人よりも自分を上に置くことはなく、とにかく人に対して対等に話をする人でした。それでローマン・カトリックのサンガーとマコーミックを説得したわけです。
 そういった意味では、ロックは臨床的な領域において大変重要な役割を果たしました。自分の不妊症の患者でそのような治療をして、それからプエルトリコで臨床試験を行ったわけです。
【北村】臨床経験のあとに、実は妊娠例が続出したという話がありますね。リバウンド、あるいは不育症に対するホルモン療法の結果なのかもしれませんが。
 私たち日本の産婦人科医は、OCを服用すると不妊になるのではないかという質問をよく受けます。そのときに、私はピンカスとロックの経験を話して、不妊の女性の協力がなければ、OCの開発はなかったという話をします。
【レオン】ピンカスは、とにかく人を集めるのが大変上手でした。ですから、不妊の女性がいなくても、他のだれかを捜したかもしれません。けれども、たまたまそこにロックという完璧な人がいたわけです。
 ロックはカトリックなのでちょうどよかったわけです。というのは、カトリック教会からの反対を恐れ、どの企業もOCの臨床試験をやりたくなかったのですが、ピンカスはいろいろな企業を説得したのです。
 ロックは最初の試験では中心的な役割を果たしていませんでしたが、承認後の5年間は、カトリック教会から非難が来たときに矢面に立って、スポークスパーソンとしてラジオ、テレビ、雑誌に登場してOCを擁護しました。
 大変重要なのは、どのようにしてローマン・カトリックとしてOCを支持するよう説得できたのかということです。彼は1920年代にリズム法に関する本を書き、その後ローマ法王がリズム法の使用を承認しました。カトリック教会がリズム法を自然として承認するのであれば、受胎調節のOCで妊娠を避けるのは、これも自然ではないかと言ったわけです。
【早乙女】レオン・スペロフ先生の「Clinical Guide for Contraception(避妊ガイドブック、文光堂)」第2版を私たちの仲間で翻訳し、1999年9月、約1年かかって出版しました。そのレオン・スペロフ先生と、夫人のセン・スペロフ先生ともご一緒にお話しでき、うれしく思います。
 翻訳させていただいたご著書にも、OCの誕生秘話がしっかり書いてあり、サンガーについての著作も私たちのグループのメンバーで翻訳したこともあり、そのあたりについては大体聞いていましたが、それを直接伺って、とてもリアルなものに感じました。
 日本でも、ピンカスのように人を惹きつけてどんどん前に行くような、プロモートする力というものが必要だと痛感しました。

 

    ●医療者へのメッセージ

 

【北村】最後に、日本の若い医師やコメディカルの方々にメッセージを。
【レオン】婦人科医の魅力は何かと考えたときに、最初に私が思いつくのは、医学の領域の中でもこれほど広範な影響を及ぼすことができる領域というのはないということです。新生児から始まって、単に個人に対する影響だけではなくて、社会に対して大変大きな影響を私たちは及ぼすことができます。
 STDという社会的な問題や、人口問題でも私たちの役割は重要です。婦人科領域において、世界的に影響を及ぼすことができるような重要な問題はたくさんあり、そこで貢献できる私たちは幸せ者ですし、婦人科の一番大きな魅力です。
 

【セン】女性の教育レベルが高まれば高まるほど、女性はエンパワーメントされます。初めて恋に落ちた十代の女の子たちを、私たちは導くこともできるのです。女性には選択肢があるのだ、そして女性が自分のために一番よい選択ができるのだという感覚は重要です。
【北村】1995年、エジプト・カイロで開かれた国連主催の人口開発会議でも、同じことが話題になりました。開発途上国における人口爆発を解決する道、それは女性をエンパワーメントすることで、これこそが家族計画、避妊、人口問題などに対して非常に大きな影響を及ぼすのだという、大変素晴らしいメッセージをいただきました。
【早乙女】避妊というジャンルは、産婦人科の内部でも、まだきちんと確立されたジャンルとしての認識が薄いような気がしています。
 産婦人科だけではなくて、いま私は小児科の先生とも少しコラボレーションしているのですが、小児科の先生も、「自分たちの患者さんには僕はOCを出さないよ」などと言っているという話を聞くことがあります。避妊というジャンルを、日本の中でもう少しきちんとアピールする必要があります。それからもう一つは、避妊のためにOCを取りに受診するから、そのついでに子宮頸部細胞診をするというのではなくて、避妊は避妊、健康管理は健康管理というように、女性が自立して、自分が欲したときにちゃんとそれを提供してもらえるよう、産婦人科の役割がもう少し整備されていくべきだと学びました。
 日本でOCが承認・発売されて10年経ちましたが、本日の座談会で、これから先の10年を思い描くことができました。
=敬称略、文責・編集部

 

 

 

【写真】1954年4月9日、日本家族計画連盟発会式出席のためマーガレット・サンガー氏(右)が来日。日本家族計画連盟会長を務めた加藤シヅエ氏(左)が羽田空港で出迎えた(上の写真は1954年4月20日付の本紙(当時の紙名は「家族計画」)創刊号に掲載されたもの)

 

 

 

 EBMで解き明かす、子宮頸がん予防とHPVワクチンQ&A

 

 
性交はいつから可能か?

本会家族計画研究センター所長 北村 邦夫

 昨年度、全国8か所で開催された「指導者のための避妊と性感染症予防セミナー」には、1209人が参加しています。このセミナーで最も白熱するのが「まとめ」の時間。参加者から寄せられる質問に講師陣がどう答えるかは興味の尽きないところであり、聞き漏らすことができません。今号から連載をスタートさせた「EBMで解き明かす『子宮頸がん予防とHPVワクチン』Q&A」は、この「まとめ」の時間に参加者から寄せられた質問を整理し、最近の研究論文から丁寧に解説を試みようという企画です。取り上げたクエスチョンは順不同。あえて申し上げれば、回答を担当した筆者にとって関心の高いものを優先しました。

Q HPVワクチンは性交経験があると子宮頸がんの予防効果が低下すると聞いたことがありますが、ワクチンを3回接種後、どれくらい経った段階で性交を開始すると高い効果を期待できるのですか。仮に、3回目の接種が済まない段階で性交が行われた場合にはどうなるのですか?

A このような質問は、思春期婦人科を標榜している本会クリニックでもよく交わされるものの一つです。メディアが発信する「セックスが始まる前にワクチン接種を」とか「セックスしてしまうと効果が落ちる」という情報に敏感に反応しているためかも知れません。
 ある母親から寄せられた、「高校生の娘が盛んにワクチンを打ちたがっている。ひょっとしてセックスを焦っているのではないか。お金は出しますが、だからといってセックスにゴーサインを出すつもりはありません」との言葉も、HPVワクチンを巡る最近の混乱を象徴しているように思われます。 
 HPVワクチンを3回接種(GSK社の2価ワクチン、サーバリックスでは0、1、6か月接種、万有製薬から承認申請中のメルク社の4価ワクチン、ガーダシルでは0、2、6か月接種)した1か月後、すなわちワクチンの初回接種後7か月目以降から予防効果が確認されています。
 HPV感染に関しては、どの程度の抗体価が維持されると予防効果があるかについては未だ十分解明されているわけではありませんが、ワクチンの開発から今日まで、臨床上は予防効果は5~6年ほどまで確認されていますし、推計上20年ほどは抗体価は維持されると言われています。また図1にあるように、4価ワクチンの3回接種後の抗体価が測定期間中ではピークに達しています(文献1)。
 仮に、3回目の接種が済まない段階で性交が行われた場合ですが、3回接種を完了していなくても抗体価が上昇し、ある程度の予防効果が得られたワクチン被接種者もいることも示唆されています(文献2)。

Q 子宮頸がん検診は2年に一度でいいのでしょうか? その理由は?

A 細胞診による子宮頸がん検診は1983年から2002年までは逐年検診でしたが、厚生労働省は2003年から子宮頸がん検診の対象者を20歳以上、検診間隔は2年としています(文献3・4)。
 1983年に検診が始まった頃には、国内で行われた調査研究で、細胞診陰性の結果から2年毎まで検診間隔を延ばしても効果が期待できるが、2年に比べ1年毎の方が効果が大きかったという報告をもとに、逐年検診が導入されました。一方、海外の研究では、検診年齢により結果が異なる場合があるものの、1年と2年で効果に大差がないという報告があります。
 その後の研究成果や実施体制を検討した結果、厚生労働省がん検診検討会中間報告に基づいて、2003年から隔年検診としました。厚生労働省は子宮頸がん検診については2~3年に一度の受診間隔で有効性が示唆されるとしています。
 参考までに、海外の研究では検診間隔が5年以上でも効果が持続するという報告もあり、実施検診間隔を5年にしている国もあります。また、年齢や陰性結果の連続回数により受診間隔を変更している国もあります。

〈文献〉
1.Olsson SE, et al.: Vaccine 2007; 25: 4931-4939
2.The Future II Study group (Ault KA et al.) Lancet 2007; 369: 1861-1868
3.有効性評価に基づく子宮頸がん検診ガイドライン
http://canscreen.ncc.go.jp/pdf/guideline/shikyukei-full0912.pdf
4.厚生労働省HP
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/04/

 
 
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