特定非営利活動法人ぷれいす東京 生島 嗣
はじめに
近年の医療の進歩により、HIVに感染しても早めに自らの感染に気づくことができれば、体内のウイルスの増殖を抑制する技術が確立された。しかし、現在の医療技術では、体内からウイルスを完全に除去することは難しく、生涯にわたる服薬が必要となっている。
また、HIVにより引き起こされる様々な日和見症状への治療技術も飛躍的に向上した。これらのことにより、HIV陽性者は発症を遅延させることが可能になり、長期にわたる地域生活も可能となってきた。そこで、地域での自立的な生活を支えるための環境整備が重要な課題となってきている。
法制度面でも1998年、薬害エイズ裁判の和解によりHIV陽性者は障害認定の対象に加えられ、医療費の自己負担を軽減するための制度が整えられた。これにより、少ない自己負担で治療を継続するための制度が整えられた。
東京都に登録されている免疫機能障害者の数は、2010年4月で4141人となっており、前年に比較して485人増加していた。手帳の新規交付が年間に2444人であることを考えると、少なくない数である。また、障害者の全体の数が、45万4345人であり、免疫機能障害が0・9%を占めていることになる。
社会に流通する疾病イメージ
しかし、こうした医療技術の進歩や、社会制度の整備に比較すると、社会の認識は変化しておらず、HIV陽性者はこの無理解に基づく差別や偏見にさらされている。このような状況のもと、多くのHIV陽性者は自らの陽性を周囲に明かしていない。
私たちが実施した調査「HIV陽性者の生活と社会参加に関する調査」(2009、生島、若林)によると、職場で周囲の同僚に自分の感染を伝えているのは、同僚8・4%、上司11・9%、人事部5・8%となっている。また、同居家族をもつ陽性者であっても42・0%が感染を家族に伝えていない。他の質問項目で、「知らない間に病名が知られる不安」には、75・6%が「とても感じる/すこし感じる」と回答している。また、「病名を隠すことの精神的負担」では、76・7%が「とても感じる/すこし感じる」と回答しており、病名を周囲に伝えづらいことが、精神的な負荷になっている現状が明らかとなった。
2008年に厚生労働科学研究費補助金(エイズ対策研究事業)「地域におけるHIV陽性者等支援のための研究」がスタートした。当時、地域における支援者がどのようにHIV陽性者からの相談に対応しているか、HIV陽性者はどのように生活しているのか等の現状についての把握は行われていなかった。そこで私たちは、いくつかの社会調査を実施した。
2008年度には、東京都内の相談窓口におけるHIV陽性者への相談対応に関する調査。2009年には、全国33専門医療機関の協力を得て、全国で生活しているHIV陽性者1203人(回収率66・4%)の回答を得ることができた(分担=若林チヒロ/埼玉県立大)。また2009年には、全国の保健所におけるHIV陽性者への療養支援の実態について調査を行った(分担=大木幸子/杏林大学)。
ほかに、地域支援者に向けた研修、先駆的な相談事業、HIV陽性者向けのピアサポート、ソーシャルワーカーの受診前相談等についても研究を実施している。
地域の窓口調査から
2008年に地域住民向けの相談サービスを提供している東京都内にある地域の相談機関(957か所)を対象とする自記式・無記名方式の郵送調査を実施した。回収率は 51・6%であった。 調査結果より、下記の点が示唆された。
①これまでHIV陽性者と周囲の人から相談を受けたことがある機関は、回答機関全体の3分の1であった。窓口別でみると特に福祉事務所(障害者福祉担当)87・9%、ハローワーク(障害者担当)85・7%、生活保護担当64・7%が相談を経験しており、とりわけ高率であった。
②HIV陽性者や周囲の人からの相談内容は、生活者としての相談が多く必ずしもHIVに特化した内容ではなかった。このことから、既存の地域サービスに対する相談ニーズが存在することが明らかとなった。
③今後の相談対応への自己効力感が低いと回答した相談機関が3割存在することから、地域支援者の準備性に課題があることが示唆された。
④一般相談機関でHIV陽性者からの相談を受けるためには、最新の基本的な知識、専門機関の情報等が必要であると考えられており、相談に対応するためのHIVに関する研修が必要であるとの回答も約7割あった。
また、自由記述では、最新の医療や関連機関の情報等のHIVについての基本的な分野と、就労や高齢者等の専門性の高い分野について、社会全般や企業、関連機関等への啓発、研修の必要性や、これからの対応での課題が示された。また、プライバシー保護によるサービス提供の難しさについて指摘があった。プライバシーの保護を優先すると、問題解決において困難が生じたり、十分な福祉サービスが利用できなかったりといったことが述べられていた。
HIV陽性者の生活や社会参加の様子
HIV陽性者はどのように生活しているのであろうか。私たちは、2009年にHIV陽性者の生活と意識の実態を把握するための基礎データを得る目的で、全国33病院(エイズ診療中核拠点病院、エイズ診療ブロック拠点病院、エイズ治療・研究開発センター)の協力を得て、HIV陽性者1813人を対象に質問紙調査を実施した。39都道府県から、1203人(回収率66・4%)の回答が寄せられた(表1)。
療養生活の中で、通院の頻度、服薬開始、入院状況などは、社会生活の継続と大きく関連する。通院頻度は、「1か月に1回」が最も多く47・0%、次いで「2か月に1回」が27・6%、「3か月に1回」が19・7%となっていた。「1か月に2回」は5・7%となっていた。
抗HIV薬の服薬回数は、2004年実施の同様調査(N=564)と比較すると、大きく変化していた。「1日1回」は、2・3%から47・1%へと大きく増加し、薬剤開発により患者の負担が軽減されている様子がみられた。一方で、「未服薬」という回答者は、25・5%から17・1%へと低下しており、服薬開始ガイドラインの変更の影響が考えられる。
過去1年間に入院経験がある人は、全体の23・8%であったが、告知年別にみると、「2008年」54・1%、「2007年」20・7%、「2006年」19・0%と、告知からの時間経過とともに入院する人の割合が少なくなっていた。この結果は、感染から2~3年で健康状態や生活が安定する可能性を示唆しており、感染判明後に慌てて退職や転職をするのではなく、時間をかけて生活設計を考えることの重要性を示している。
■世帯の構造と就労
世帯構造(複数回答)は、単身で暮らす回答者が全体の40・4%を占めた。同居者は、「父母」27・9%、「夫・妻」16・7%、「パートナー・恋人」12・7%、「子」10・5%、「きょうだい」8・3%となっていた。 感染に気づいた時点では7・9%であった「非就労者」が、調査時には21・1%となっていた。
感染を知った後、離転職をしているHIV陽性者が40・3%いる。そのうちの20・3%は「辞めざるを得なかった」と回答している。その主な理由は、労働条件、体調や健康管理であった。一方、「HIVと関係なく解雇された」という人が8・2%おり、昨今の厳しい経済情勢を反映していた。さらに2・1%は「HIVで解雇された」と回答していた。
世帯の生計を主に維持している人を尋ねたところ、「本人」とした人が67・2%を占めた。陽性者の就労収入が生計維持の主な手段であり、就労は生計を維持する重要な意味をもっていた。
ただし就労者の年間就労収入は、「1000万円以上」の高額所得の人が6・2%いる一方で、「300万円未満」の人も35・0%と経済基盤が脆弱な層も存在する。
■職場評価
職場の働く中で感じることを「とても感じる/すこし感じる/感じない」の選択肢で聞くと、「とても/すこし感じる」の合計は、「仕事のやりがい・面白さ」62・5%、「全体的な働きやすさ」64・1%であり、仕事のやりがいに意味を見出している人も多かった。
一方で、不安も同時に存在していた。「知らない間に病名が知られる不安」75・6%、「病名を隠すことの精神的な負担」76・7%となっていた。予想外に低いのが「通院のしにくさ」43・0%、「服薬のしにくさ」32・2%であった。
■健康診断
職場や地域の健康診断の受診者は43・0%であった。受診の不安について聞くと、「健診結果から感染が知られないか不安」50・1%、「結果がマイナスの人事評価に使われないか不安」28・4%であった。
2008年4月より、「特定健康診査・特定保健指導」(いわゆるメタボ健診)が導入されたが、本調査の結果をみると、「不本意に勧められて困った」9・4%、「保健指導が強くて困った」4・6%)となっていた。今後も注目していきたい。
■公的な相談サービス利用
離転職経験が多く報告される中で、相談先が、ハローワークの利用では、相談者の半数は病名を伝えずに相談をしたと回答していた(図1)。HIV陽性者の多くは、医療者や近親者に就労に関する相談をしているが、地域の就労に関する相談サービスではHIV陽性であることを前提にした相談はできていない現状が見受けられた(図2)。
■施策への評価は?
現在の日本のHIV/エイズ施策に対する評価を聞いたところ(図3)、「HIV陽性者への治療や医療体制」に対する評価は非常に高く、88・2%が「整っている/まあ整っている」と肯定的に評価していた。一方、「職場のHIV/エイズ対策」に対する評価は、90・2%が「整っていない/あまり整っていない」と課題を指摘していた。
今後の働き方については、「特に制限しないで働きたい」49・1%、「健康状態にあわせて制限や調整をして働いていきたい」45・4%となっていた。また、「できれば働きたくない」5・5%となっていた。この結果は、2004年調査と比較すると、「制限せずに働いていきたい」と回答している人の割合が10ポイント以上増えている。
保健所や地域の検査に求められるもの
2007年にエイズ動向委員会に報告された陽性者1500人の報告経路を調べた調査(今井光信、2008)によると、保健所等でHIV陽性とわかる人は、全体の約4割弱だ。約6割は一般の医療の場等で、告知を受けていた。地域の保健所がHIVにどのように向き合っていくかは大変に重要だ。検査においてはもちろん、療養生活支援についても今後の関わりが期待される。
■保健所の調査
全国の保健所(515か所)及び政令指定都市の保健センター(212か所)の合計727機関を対象に、組織体制調査、担当者調査を行った。その結果、組織体制調査の回答数は411件であり、うち保健所の支所からの回答を除いた410件を分析の対象とした。回収率56・5%、有効回収率は56・4%であった。
①HIV検査での陽性者支援の準備性
HIV検査における相談実施の体制には全国でばらつきがある。特に陽性告知後の相談は毎回実施している機関が66・0%であり、担当職種は医師に集中していた。また相談内容は受診が中心であり、生活全般の相談体制がとれるよう、多様な援助職種の関与が今後の課題と考えられた。
②HIV陽性ケースへの支援の体制
HIV陽性者の支援にあたっては、健康課題の領域に応じて、エイズ対策担当部署以外にも多様な部署の担当者が担当すると回答しており、感染症担当者以外もHIV陽性者支援に関する支援技術の向上が求められる。
また、HIV陽性者支援のための地域の機関との現在の連携状況は、エイズ治療拠点病院が中心であった。今後連携が必要な機関として多くの機関が挙げられていたが、いずれも3割~4割の回答であり、長期療養に伴う療養課題への対応の準備に関する認識に差があると考えられた。
地域支援のとりくみ
公的な機関の相談窓口の支援経験は、東京都内では高まっている。しかし、陽性者を対象にした調査結果では必ずしもその利用が十分に進んでいるとは言えない。地域で活動する保健所の実態調査においても、陽性告知時の対応は医師主導で保健師など他職種による支援が十分に行われていない現状が見受けられた。また、地域内の連携についても課題がみられた。
また、地域支援者を対象にした調査からは、HIV陽性者を支援するための自己効力感が十分に高いとは言えず、支援の準備性に課題があることが明らかとなった。
そこで、私たち研究グループでは、地域支援者のための研修プログラムを開発しその効果を検証してきた。最終年の今年、以下の内容を含むDVDを作成し配布する。支援のための準備性を向上させるために、自己学習、職場での学習などに活用可能だ。
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写真1
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写真2
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▽性と健康(池上千寿子/NPO法人ぷれいす東京代表)(写真1)
▽HIVの医学的基礎知識(根岸昌功/ねぎし内科診療所)(写真2)
▽服薬と職場でのカミングアウト(高久陽介/日本陽性者ネットワーク・ジャンププラス)
▽HIV陽性者の生活と社会参加に関する調査から(若林チヒロ/埼玉県立大)
▽企業人事担当者のHIV陽性者の雇用経験から(A社)
また、10月~11月にかけて、東京や大阪にて地域支援者向けの研究成果発表が予定されている。また、第69回日本公衆衛生学会、第24回日本エイズ学会でも発表を予定している。詳細は下記サイトにて。
地域におけるHIV陽性者等支援のためのウェブサイト
http://www.chiiki-shien.jp/
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