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OC/LEPが私の医師人生をどう変えたか

OC/LEPが私の医師人生をどう変えたか<30>
OC/LEPで、女性が「自分の人生の主人公となる」

第827号


島根大学保健管理センター(島根県松江市) 河野 美江

産婦人科医を志す

 私は、島根県の封建的な地方都市に生まれました。1978年、音楽番組「ザ・ベストテン」放送開始と同時に高校生となり、衝撃的な『モア・リポート(女性の「性」について調査したもの)」)』を高校2年生で読み、新聞部の部長として女性の生き方について考えました。その頃、「アメリカには思春期クリニックがあり、相談に乗ってもらえたり、ピルを無料でもらえたりするらしい」と知り、病院というと偉そうな男性医師しかいない印象があった地方都市との差に愕然としたことを思い出します。
 「治療より予防教育が重要」と感じ、教員志望を変更して医学部に入学しました。入学後に『さらば、悲しみの性―産婦人科医の診察室から』を読み、産婦人科医になることを決意。87年に島根医科大学(当時)に入局しました。自分が子育てや家族関係で悩んだこともあり、女性が主体的に生きるお手伝いができたら―と臨床心理士の資格も取りました。
 2008年より島根大学の保健管理センターに入職し、健康管理、学生相談、教育に携わるとともに、14年には地域の女性弁護士や臨床心理士とともに、民間のボランティア団体「しまね性暴力被害者支援センターさひめ」を設立しました。

OC/LEPとともに歩む

 振り返ると1999年に低用量ピル(OC)承認、2008年LEP上市、11年緊急避妊ピル発売とともに歩んだ私の医師人生。これらがなかったらどうなっていたのだろうと思います。今は週に1回、産婦人科診療所で思春期外来を行うとともに、大学の授業や地域の中学高校で「何かの時は緊急避妊ピルを思い出して」、「低用量ピルは月経困難症にも効果があるよ」と話しています。そこで思うのは、OC/LEPは単に薬ではなく、「OC/LEPというものがあり、このような効果や副作用がある。それを飲むか飲まないかは『あなた』が決めること」という「女性が自分の人生の主人公となる」ためのシンボリックな存在だということです。
 今は島根県にも思春期外来や性教育を行う仲間も増え、「島根で思春期外来、予防教育を」の願いは叶いました。ではその頃と比べ、女性の生き方はどうなったでしょうか。最近、ようやく日本でも、性行為には本当の同意が必要なことが認識されてきましたが、性暴力被害者の相談に乗っていると、自分のこころや身体について無知な女性の多いことに驚かされます。

自分の人生の主人公となる

 私は現在、全国の保健管理センターで数少ない常勤産婦人科医師です。保健管理センターをご存じない方々に説明させていただくと、全国の多くの大学に設置され、医師、保健師、カウンセラーなどがいて、健康診断、病気やけがの治療、学生相談などを行っています。性的に活発な大学生にリプロダクティブ・ヘルス/ライツを教える重要な拠点ですので、産婦人科医師の代表(自称)として全国に子宮頸がん検診やHPVワクチン、性暴力被害学生への支援、そしてOC/LEPの重要性を発信しています。
 OC/LEPがなかった時代、私たちには「子どもを産むか産まないか。いつ産むか、何人産むか」を選択することはできませんでした。今は考え、選ぶことができます。内服しないことを選んだとしても、それはその人の選択として十分に尊重されます。
 全国の女性たちが、自分のこころや身体について学び、「自分の人生の主人公となる」。そしてパートナーや子どもたちに、その素晴らしさを伝えてくれたら、私たちの国ももっと良くなるはずです。そのような日が来ることを願ってやみません。


今月の人

河野 美江(こうの・よしえ)
1987年 佐賀医科大学卒業。2008年島根大学保健管理センター講師、准教授を経て18年より教授。15年より島根大学学長特別補佐(男女共同参画担当、21年よりダイバーシティ推進担当)。


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