機関紙

<3>遺伝子検査の限界 藤田保健衛生大学医療科学部教授 市原慶和

2015年06月 公開
シリーズ遺伝相談 総論編3

遺伝子検査の限界



藤田保健衛生大学医療科学部教授 市原 慶和



 1997年に制作された「GATTACA(ガタカ)」はよくできた映画だと思う。ずいぶん前に、本シリーズ第4回を担当される山中美智子先生から紹介された。この映画では、遺伝子操作で生まれた「適正者」が選別されて優遇される一方で、自然出産で生まれた「非適正者」が差別される、という近未来社会が描かれている。
 当時、私は遺伝子の研究に没頭していたが、ゲートを通る一瞬で遺伝子の塩基配列が検査される場面を見て、こんなに早く解析ができたらと、うらやましく思ったものである。しかし、「次世代シークエンサー」という超高速遺伝子解析装置の開発と進歩により、ガタカの世界に大きく近付いた感がある。

感染症の遺伝子検査

 遺伝子検査の長所は、迅速・高感度・正確な点である。遺伝子検査が新検査法として医療界に受け入れられたのは、「感染症の遺伝子検査」であった。現在でも医療施設で行われる遺伝子検査の対象は、大部分が感染症である。特に分裂速度が遅い結核菌は、従来の分離培養法だと結果が出るのに3週間以上かかるが、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法で結核菌のDNAを検出する方法だとその日のうちに診断できる。その結果、明日が入学試験という結核疑いの生徒が、遺伝子検査で陰性となって何人も救われた。この成功を機に各検査会社は争って遺伝子検査の商品化に乗り出した。

がんの遺伝子検査

 

 「がんの遺伝子検査」も注目された。がんには遺伝性のものもあるが、多くはたった一つの体細胞に起こった突然変異(体細胞突然変異)が原因である。突然変異は宇宙線、化学物質、DNA複製の誤りなどによって起こるので、宇宙線にさらされる時間や、細胞分裂の回数が多くなると突然変異のリスクが上がる。がんがお年寄りに多くなるのは至極当然なことである。
 がん細胞では、2万数千個ある遺伝子の発現パターン(転写されるRNAの種類と量)が正常とは異なってくる。例えばさまざまなメラノーマについて、遺伝子発現のパターンと臨床像や悪性度との相関を調べたデータが蓄積されている。患者さんのパターンをこのデータと比較することにより、メラノーマのタイプが分類できて、予後や対処法が提案できる。この目的のためにガラス板にさまざまな遺伝子を整然と固定したDNAチップが開発された。DNAチップを用いたDNAマイクロアレイ法は、がんの悪性度の判定や効果的な薬剤の選択に道を開いた。
 DNAマイクロアレイ法に類似したものにアレイCGH法がある。正常細胞由来の全ゲノムDNAが整然と固定化したガラス板(DNAチップ)に、赤色蛍光で標識した健常人と緑色蛍光で標識した患者さんの1本鎖にしたゲノムDNAを等量混ぜてハイブリダイゼーション法で検査する。固定化したDNAと同じDNAが健常人と患者さん共に同じ数あれば、緑と赤の比が1対1で混じった黄色に光る。患者さんのDNAに欠失があれば、相対的に健常人の赤色が強くなり、増幅があれば緑色が強くなる。検査対象はゲノムDNAで、欠失・増幅などの遺伝子の量的変化を検出できる。原因遺伝子を絞り込めれば、サンガー法を用いて塩基配列レベルで突然変異の場所と種類を詳しく調べることができる。

出生前診断

ここ数年で次世代シークエンサーが原因不明疾患の遺伝子解析に利用されるようになり、一人一人の全ゲノムを一挙に解析して、患者家系共通の変異を網羅的に発見するという戦略が可能になった。
 2013年には次世代シークエンサーを利用した新たな遺伝子検査「母体血で調べる新出生前診断(NIPT)」が、国内の臨床研究として開始された。母体血中には母親のDNA以外に赤ちゃんのDNAが少量存在することが知られている。これを次世代シークエンサーで解析すると、13、18、21番染色体のトリソミーの赤ちゃんを妊娠しているかどうかが分かるのである。この方法は、母子の全ての遺伝子情報が得られるため、胎児の遺伝子スクリーニングが現実問題になった感がある。映画のように一瞬とまでは行かないが、数日の時間と万円ほどの費用で全ゲノムの解析が可能な時代が到来する。
 しかし、遺伝子変異を知ることによるメリットとデメリットのバランスが重要であることは言うまでもない。治療法のない疾患と分かっても、発症の不安に苦しむことは目に見えている。つい最近、「DNA編集技術」を用いてヒト受精卵の遺伝情報を改変したという論文発表があった。研究者は生殖細胞の遺伝子治療も視野に入れているようだ。しかし、まだまだ実現性には程遠く、今後の遺伝子検査は、「出生前診断」や「着床前診断」の方向に進むことが考えられる。
 がんも遺伝病も突然変異が原因だが、突然変異は細胞が分裂すればある頻度で必ず起こる。突然変異を高感度で見つけることが遺伝子検査の一つの目標だが、技術がどれだけ進歩しても、その技術をどのように使うかについて、利用者自身がしっかりと考えなければならない時代になったのだと思う。

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